「強い人になりたい」プーアル茶 その②
最強なプーアル茶を飲んで、
こんなことを思い出しました。
最近友達と、「強い人になりたいね」
という話をしたんです。
見た目じゃないですよ。中身です。
「強い人」の定義は人それぞれだと思います。
自論ですが、強い人というのは、
表に綺麗な言葉を吐いて自分を強く見せなくても、
自然と中から滲み出てくるものではないか。
そして、人に気付かれなくても、
自分が多少犠牲になっても、
優しく笑顔でいられる、
心の広い人のことだと思うんです。
強がっている人は強い人じゃない。
本当に強い人は、絶対強がったりしません。
綺麗な言葉を並べて強く見せる人と、
言葉の圧で強く見せる人、
色々なパターンがいます。
そういう人って、
本当は自分の弱さを隠しているんだと思う。
どうして強がる必要があるのかな?
自分の未熟さを認めて、
だからこそもっと努力するべきです。
自分にもっと素直になるべきです。
強がれば強がるほど、
後に退がれなくなる。
自分が蒔いた種なのに、
そんな状況に自分が焦る。
だからまた強がる。
悪循環ですよね。
自分の未熟さを認めるのも、
一つの勇気だと思います。
強さだと思います。
格好悪くなんてない。
自分を理解して努力するって、
素晴らしいことです。
私も強がりの一人でした。
自分が未熟だとわかっていても、
それを認めるのが悔しくて、
どうしても強がってしまう。
でもあるとき
「なんで自分、こんなに強がっているんだろう。」
って思ったんです。
強がるのなら、強がる前に、いっぱい勉強しよう、
努力しよう、強くなろう。そう思ったんです。
強がって、恥をかいたこともありました。
その時に、ある人に言われた言葉があります。
「自分が好きなことは
とことん追求しなさい。
誰にも負けないくらい調べなさい。
好きなのに何も知らなかったら
薄っぺらい人間に見えてしまう。
もう大人なんだから、
自分の言うことには責任がある。
責任が信頼を生んで、
信頼が絶対に仕事を生むから」
私はこの言葉を忘れられません。
とっても感謝した言葉です。
私も、気付けば大人になっていました。
子どもだって言葉に責任は持つべきですが、
大人になってからの「言葉の責任」は
すごく大きくもあり、厳しいものでした。
自分が発する一言一言は、自分の人生を左右します。
そして、余裕がなくなると、
弱い部分がふとした拍子に見えてしまいます。
それを見られたくないから、
気付かれたくないから、また強くいようとする。
でも、本当に強い人というのは、
余裕がないときでも、大変そうでも、
いつも笑顔でいます。
嫌な顔せず、雰囲気にも出さず、笑顔でいます。
私の母親です。